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十谷七面堂のルーツを探って見ましたぞ!

十谷集落にひっそりと佇む七面堂、何かを主張しているようで調べて見ました・・・

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十谷集落にひっそりと佇む七面堂、何かを主張しているようで調べて見ました 。(ただの暇つぶしです)

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七面神の伝説

いいさよ~ よってけし!

身延町誌によると1277年、日蓮聖人が説法をした参詣聴衆の中に若い美女がいて、「本来の姿になれ」と花瓶の水を与えると、美女は竜に変身したという。

竜はまた美女の姿に戻り、一乗信受の所願を叶えると誓い、七面山に去って、身延を守っていると言い伝えられている。

その七面山にはちょうど身延山の裏鬼門、南西に位置し、久遠寺の所有である七面山本社(敬慎院)がある。七面神となった美女はその後、龍神信仰として七面山の縁起そのものの象徴となったようです。

峡南地区には七面山本社から分社された七面堂が何箇所かあります。今回のミッションは七面巡りで相関を感じ取り(素人解釈で・・・)十谷七面堂にフォーカスしたい狙いがあります。

じっこく

まずは七面山に登って、敬慎院を目指すぞ!

DIA君

カッコつけてもただの暇つぶしでしょ、登山までするとは・・・

ミッション1 ①七面山敬慎院は往復5時間のガチ登山

登山口に7時半に到着、準備して8時ちょっと前に出発します。

石塔に番地のような彫りこみがあり、元丁目から五十丁目まで位置関係が分かるようになってます。

二丁目に最初の休憩所がありました。杖購入のためでしょうか?!

十丁目までは体も慣れてない為、急坂で息が切れます。出だしはゆっくりペース推奨します。

十三丁目で2つ目の休憩所が出てきました。ジュースやカップめんが売ってますが、2,3倍のお値段です。

登山道には水道や電気が引いてあり、休憩所や道端で水分補給が可能です。昨年の台風の影響で電柱が所々で倒れてました。

二十五丁目の休憩所です。二十丁目から三十丁目は体も慣れ、比較的楽でした。

途中で展望の良い場所が2,3箇所ありました。

三十六丁目辺りでポッンと一軒家で撮影された晴雲坊がありました。帰りに足を引きづっていたら店主から「シップあげようか」と声を掛けられました。やさしい方です。

四十六丁目でやっと敬慎院の入り口が現れました。ここまで2時間半ほど。

鐘つき堂の右側の門をくぐるといよいよ境内です。

敬慎院に到着です。1776年に火事で焼失し1789年に再建したそうです。七面作りと呼ばれ、分社にも取り入れられたとか。

さて注目の装飾は蕉懸魚と龍神のようです。

敬慎院は確認出来たので同じ道を引き返し、15時頃下山しました。

ミッション2 七面堂巡り

②大野原七面堂

早川町大野原の山の中にありました。装飾は・・・

やはり龍神でした。

③七面堂(十谷)

つくたべかんの上の細い道を2,3分登っていくとひっそりと佇む一間のお堂が見えた。裏側は崖っぽいので建物の損傷は激しく、石階段も沈下して危険な状態だ。屋根が大きくアンバランスな印象でしたが調べてみるとどうやら改造・修理が繰り返されたようだ。

資料によると、背面張り出し部がなく一間に七面天女像が祀られた初期形態→堂の背面に出の浅い張り出しをもうけた中期形態→角柱と拳鼻、内法長押、虹梁が後補強された現状とされている。尾垂木は鳳凰、龍、獏等で彫刻されている。

装飾はやはり龍がメインです。

旧鰍沢町が設置した説明看板も倒れ、全体的に荒れた印象です。富士川町に変わっても町の重要文化財なので、ちゃんと整備して欲しいところです。

④七面堂(鰍沢)

他の七面堂と違って赤い外観です。

装飾は龍神と十二支でした。

舟運の隆盛とともに龍神として村中で祀ったらしく、富士川を見下ろせる場所にありました。

まとめ

七面堂の位置関係は七面山を基準に意味があるのか調べましたが、実際は七面山をまねて、急な山道や石段を登って登拝させること。従って村落の背後にある小山の中腹となったようです。

共通した龍彫刻はやはり七面天女が龍の化身だったから。視点をかえて見るとロマンがあって面白いですね~(共感してくれる人は少ないでしょうが・・・)ほいじゃーね!

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